絶望の中掴んだ転職-面接と職務経歴書で自分の気持ちを素直に伝えて募集のない病院に採用された話-

今回は、職務経歴書の書き方について記事にします。

私は、募集がない医療機関に応募し採用されたことがあります。

面接をしたのが5月初旬で、新年度の職員が入職したタイミングですから、時期的には最悪でした。

取り下げ忘れた求人票を見て、直接電話で応募してしまったのです。

「あぁそうですか~熱意を感じました。話だけでも聞きましょう。」

そんな期待できない返答をもらい、面接の日を迎えました。

面接当日、汚い履歴書…職務経歴書が勝負だと思って真剣に書いた

私の履歴書はまあまあひどいものです。勤続年数が3年、1年半、1年半、1年と7年間で3回の転職ですから、職歴の欄が足りず普通なら敬遠されます。

本当に崖っぷちな気持ちで面接場所に出向きました。

部屋に案内され、履歴書と職務経歴書を渡してからかなり待たされました。

面接官は結構メモしていて面接をしていたので、書類はしっかりとみられていたと思います。

面接の冒頭に「あなたがしてきたことは職務経歴書からよくわかりました。しっかり書きましたね~。ちゃんと書いてくる人あんまりいないんですよ。では、これから詳しい話を聞いていきます。」と挨拶され、ひとまずやってきたことは伝わったと実感しました。

あとは面接で素直に受け答え、さらに熱意を伝えることが大切です。

当時の職務経歴書を公開

では、私が作った職務経歴書を紹介します。

レベルが高いものではありませんが、私の考える職務経歴書の役割は、自分がどういう人間なのかがしっかり伝わり、面接で十分勝負できる環境を整えるために重要だと思っています。

他でも触れていますか、採用者はただ優秀な人材が欲しいわけではありません。

いまの組織に馴染めるか、一員として協力してくれるかが最優先です。

重要なキーマンはその中から選べばいいわけだし、本当に必要ならヘッドハンティングします。

一般的な面接で一番大切なのは、その人がその組織に馴染める人間なのかという点でしょう。

↓ 以下が、私の職務経歴書ですが、実際は表にしてまとめています ↓

職務経歴書

□職務要約

 専門学校卒業後、苦手意識のあった中枢疾患をみるべく脳神経外科専門の回復期病院に入職し、理学療法室に従事しました。その後、幅広い知識や経験を積むことの重要性を実感し、整形外科、通所介護事業所、訪問看護事業所にて様々なリハビリテーションの提供の形を学んできました。現在は、訪問看護ステーションの立ち上げに関わり、法人全体のリハビリテーション業務に従事しています。

(以下は羅列していますが、表など使い、相手に見やすく作成します。指定書式がある場合は従います。)

□職務経歴

①20X X年〇月~20X X年△月  医療法人〇〇 〇〇〇〇リハビリテーション病院

診療科目:脳神経外科、神経内科、内科、リハビリテーション科

病床数 :70床

職員数 :100名程度(うちリハビリテーション科42名)

業務内容:理学療法室専任として入院患者と外来患者に理学療法を提供、平均提供単位数 約20単位、担当患者数 入院6~7名 外来1~2名、 〇〇委員会、△△委員会に従事、 在宅訪問調査、 病棟スタッフとリハビリテーションスタッフの業務改善会議に理学療法、 スタッフ代表として推薦される

参加研修:理学療法士協会 新人教育プログラム修了、 〇〇〇〇イントロダクション、△△△△ベーシックコース

在籍中に取り組んだこと: 〇〇〇〇リハビリテーション病院では、いち早く戦力になることと患者の歩行自立のために、歩行に関する勉強会に積極的に参加し研鑽を積んでまいりました。また、チームアプローチが重要と考え、看護師と積極的に情報交換を行い、病棟スタッフから信頼を得られたと感じています。その結果、病院全体の取り組みとして各部署の意見交換の場を設ける取り組みが始まり、理学療法士代表としてメンバーに推薦されました。

転職に至った経緯: 脳血管障害の患者のリハビリテーションをサポートしていましたが、疼痛に悩むことも多くありました。一人の患者を救うためには、1分野の知識だけでは助けることができないと感じ、整形外科にて疼痛改善・コントロールを学ぶために整形外科クリニックへの転職を希望しました。

(本当の理由は年収です。こんな年収で一生働くなんて考えられませんでした。綺麗ごと抜きに家族を養えない理学療法士ってダサくないですか、家族を幸せにできないと思いました。ただ整形外科の経験を積みたいと言うのも本当です。これは、将来より年収アップを目指すための準備です。)

②20X X年〇月~20X X年△月  医療法人〇〇 〇〇〇〇整形外科

診療科目:整形外科、リハビリテーション科

病床数 :入院なし

職員数 :18名(うちリハビリテーション 4名)

業務内容:外来患者に対し理学療法の提供、提供単位数 半日勤務10~13名 1日勤務19~22名

担当患者数:患者からの指名制

参加研修:〇〇〇〇

在籍中に取り組んだこと: 基本的に1単位(20分間)で情報集・評価・アプローチの実践・再評価・患者教育を行うため、できる限りの無駄を省き要点に絞って会話やリハビリを行うことを心掛けてきました。特に、短時間で評価する能力が身に付き、必要なプログラムを絞ることができるようになりました。また、疼痛管理は日頃のケアが重要ですので、患者が理解できる簡単な内容のエクササイズを常に考えています。

 転職に至った経緯: 在籍した整形外科クリニックは、高齢者が多く地域医療を支えていると感じていました。しかし、医療機関にかかる前から患者予備群の方に関わることができればさらに対象者の身体は良好な状態になると感じました。上記のことから、もっと生活の場で理学療法を提供し地域を支えたいといった気持ちが芽生え、介護分野への転職を希望しました。

(本当の理由は、経営者がブラックだったので、長く勤められないと思ったときに声をかけられたからです。それがなかったら3年ぐらいは勤めていたと思います。疼痛コントロールできるようになってきたので、その力を使って何ができるか試したかったのです。)

③20X X年〇月~20X X年△月 株式会社〇〇 〇〇〇〇デイサービス

職員数 :30名(うちリハビリテーションスタッフ 3名)

利用者数  :20~30名/日

業務内容:通所介護利用者と訪問看護利用者に対し機能訓練を提供、機能訓練提供者数:10~15名/日、 パワーリハの指導・管理、 利用者の送迎、 在宅訪問調査(50名程度)、 全利用者の機能訓練計画書管理(80名程度)、 【管理者補助業務】担当者会議への参加、ケアマネジャーへのあいさつ回り

参加研修:筋膜アプローチの研究会、 自律神経の研修会

在籍中に取り組んだこと: 利用者の困りごとに耳を傾け、QOL改善のために機能訓練が生かされているか常に観察しました。生活場面では機能面に限らず様々な問題があり、解決のためには家族との信頼関係も重要で、利用者と同時に家族とのコミュニケーションも大切にしました。

また、利用者の悩みに痛みと便秘が多く、相関関係がある印象を受けましたので、疼痛と同時に自律神経についての理解も深めるように努めました。利用者・家族、職員からいろいろな相談をいただき一緒に解決していこうと向き合うことの大切さを改めて学びました。

転職に至った経緯: 充実した日々を過ごしていましたが、私の地元で訪問看護ステーションの立ち上げに声をかけられました。まだ勉強途中であったため非常に悩みましたが、養成校入学時から興味があった訪問してのリハビリの立ち上げにかかわれる機会は一生に一度かもしれませんので、自分のキャリア形成のため現在の訪問看護ステーションへの転職を希望しました。

(本当の理由は、立ち上げに携わりたかったことと理事長である医師を応援したかったからです。ただ、もともと先輩であったデイサービスの上司の本当に腹黒い本性が現れ始め、人間関係がめちゃくちゃになり始めていたことも理由の一つにありました。)

④20X X年〇月~20X X年△月  株式会社〇〇 訪問看護ステーション〇〇〇〇

事業内容:有料老人ホーム、デイサービス、小規模多機能ホーム、訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所

職員数 :法人全体35名(うち訪問看護事業所3名 リハビリテーションスタッフ 1名)

業務内容:訪問看護利用者に対し機能訓練を提供、 リハ提供者数:10~15名/日、 担当者会議の出席、 全利用者の機能訓練計画書管理(15名程度)、 同グループ事業所へのリハビリ指導、各管理者の相談、 介護職員への勉強会

参加研修:筋膜アプローチの研究会、地域医療に関する講演

在籍中に取り組んだこと: 利用者の生活を守ることはもちろんですが、法人全体にかかわる利用者の生活を守るために各事業所を回り、介護職員へのアドバイスを行いました。各事業所の困りごとを法人全体で知恵を出し、解決していこうとする姿勢に共感しました。しかし、各事業所間の連携は難しく、各事業所を回っていた私は、管理統括者の補助として各事業所の管理者の相談にのり、解決への手助けを模索してまいりました。自分だけでなく、周囲が働きやすくなることで助けられる人が増えると実感しました。

(本当の理由は、応援していた理事長は経営のセンスがなく、5事業所もあるのに法人の利益はほとんど出ていませんでした。軌道に乗っていた訪看も「やめたいなぁ~」と言っていたそうなので、大義のない事業所に家族は預けられない!と憤りを感じ、すぐに退職しました。そこを論破しきれなかった私もかなり戦略は甘く未熟でした。)

以上

職務経歴書をもとに、さらに面接で伝えきれていないことを補う

以上、私が作成した職務経歴書です。

これと履歴書を持って現在の救急病院の面接を受けました。

気になるのは、面接でどんな話をしたのかという点だと思います。

いくら書類が上手く書けたとしても、私の場合は勤続年数が短く、当時の在籍場所は、立ち上げから居たにもかかわらず、1年で退職しようとしているわけです。

自分の考えと合わなければすぐに辞める人と思われて当然です。

最後の退職理由は、素直に伝え自分でもできる限りの努力をしてきたことと経営方針のズレによる要因が大きかったこと、これまで自分なりの意思を持って働き、つけた力が先方の発展に活かせることをプレゼンしました。

長くなったのでその内容は、別の記事で紹介します。

いかがでしょうか、職務経歴書では「どうだ!俺はすごいことをしてきたんだぞ!」みたいなものは必要ありません。

企業が必要としているのは、その知識や技術だけではありません。

人を雇うわけですから、どんな性格でどんな考えを持った人間なのか?ここに一番興味があるはずです。

あなたはどんな人と一緒に働きたいですか?法人側もそれは一緒です。

もちろん医療福祉事業は、施設基準などの要件がありますから、資格は重要です。

ですが、あなたの履歴書や職務経歴書からあなたの人間的な魅力は感じとれるでしょうか?

まずは、自分がどんな人間なのか見直してから作成しましょう。

きっと、あなただけの素敵な書類ができるはずです。

とくに経験が数年しかない若手は、特別な業務内容がありません。

なんども言いますが、何に気づいて、考え、どう動いたのかが大切です。

まずは思ったことをすべて書き出しましょう。

頑張ってください。

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